コスモスまで、同じ方向を向かなくていい。

コスモスは、一本ずつ見るとずいぶん違います。正面を向いた花の隣に、横向きの花。その奥には、まだ開いていないつぼみがあります。背の高さも揃っていません。細い茎がそれぞれの方向に伸びているのに、全体を眺めると、不思議と雑然とした感じはしない。道端にできた、ひとつの景色として目に入ってきます。
花壇できれいに整えられた花も好きですが、こういう花には、見るたびに何かを見つけられる面白さがあります。最初はピンクの花ばかり見ていて、あとから白い花に気づく。花びらの形を見ようとしていたら、小さなつぼみが目に留まる。写真の中でも、視線を置くところによって印象が変わります。
もし全部の花を同じ高さ、同じ向きに揃えたら、どうなるでしょう。整って見えるでしょうけれど、この伸びやかさはなくなる気がします。違いがあることと、まとまりがないことは、必ずしも同じではないのですね。
人との関係では、この違いが厄介に感じられることがあります。特に、近くにいる人。自分が感動したものには一緒に感動してほしいし、心配していることには同じように心配してほしい。知らない人の反応なら気にならないのに、夫や妻の反応だと「どうして?」と思ってしまう。大切だからこそ、同じ側にいてほしくなるのでしょう。
例えば、子どもの様子が少し気になったとき、すぐに声をかけたい人と、今は見守りたい人がいます。話が違っているのは確かです。でも、「見守りたい」を「気にしていない」と受け取ってしまうと、その先にある考えは聞けなくなります。心配しているから急かしたくない、という思いがあるのかもしれません。
私は、相手の反応を見て意味を決める前に、その人が何を見ているのかを聞いてみたいと思います。「どうしてそう思ったの?」。責めるつもりで尋ねると問い詰める言葉になりますが、知らないことを知ろうとして聞けば、会話の続き方も変わりそうです。違いに気づいた瞬間は、言い合いの始まりにも、相手を知る入口にもなるのですね。
同じ答えを持っていなくても、一緒に決めることはできます。「私はこう考えた」「あなたはそこが気になったんだね」と確かめてから、どうするかを相談する。少し手間はかかりますが、最初から気持ちが一致していることを求めるより、ふたりの考えを置く場所が広くなるように感じます。
写真へ戻ると、こちらを向いている花だけが、この景色を作っているわけではありません。横向きの花も、奥のつぼみも、同じ場所にあります。それぞれ違うままで、一緒に風を受けている。
一本だけを見ていたときには気づかなかったことが、少し離れると見えてくる。コスモスを眺める時間には、そんな楽しみもありました。
この記事を書いたカウンセラー
杉田カウンセラー
