水たまりに、空が落ちていました。

水たまりは、よけて通るもの。
そう思っていたのに、この写真には空が映っています。
白い雲と、青いところ。電柱も、家の壁も。
足元にあるのは雨の名残なのに、見えているのは、もう雨がやんだあとの景色なのですね。
不思議です。
上を見ても空。下を見ても空。
ふだんなら、濡れないように少し大股でまたいで、それで終わりそうな場所です。きれいな景色を探しに出かけたわけでもないのに、こんなところにあった。気づかなければ、何もなかったように通り過ぎてしまうもの。
日々の暮らしには、そういうものがたくさんあるのでしょう。
窓を開けたときの風。
帰り道で聞こえた、どこかの家の笑い声。
雨のあと、少し濃くなった葉っぱの色。
どれも、わざわざ人に報告するほどのことではありません。でも、その瞬間だけ、頭の中で続いていた考えごとが途切れる。私は、そういう小さな間が好きです。
夫婦のことで気持ちがいっぱいになると、目の前にあるものが見えなくなることがあります。同じ言葉を何度も思い返し、言わなかった返事を頭の中で作る。もう終わった会話なのに、こちらの中ではまだ続いている。
「考えないようにしよう」と思うほど、また考えてしまう。
困りますね。気持ちは、電気のスイッチのようには切り替わりません。
そんなとき、無理に明るい答えを探さず、外にある何かを眺めてみる。
花でも、雲でも、こういう水たまりでも。
悩みが消えるわけではないけれど、その数分は、悩み以外のものも自分の中に入ってきます。風が冷たいな、とか。今日は少しお腹がすいているな、とか。
ずっと相手の言葉を考えていた自分が、自分の体のことを思い出す。
案外、それだけで十分な日もある気がします。
「どうしたらいいでしょう」と聞かれたとき、すぐに答えを並べるより、その方が何を感じているのかを、もう少し聞いていたいことがあります。怒りの話をしていたはずが、途中から寂しさの話になる。寂しいと思っていたけれど、本当はひどく疲れていたと気づく。
言葉になるまで、少し時間がかかるのですね。
その時間まで省略しなくていいのだと思います。
水の表面が揺れていたら、映っているものもはっきりしません。
じっと見ているうちに、雲の輪郭がわかってくる。
気持ちも、似たところがあるのでしょうか。
今日は「うまく言えない」のままでも、明日はひと言、出てくるかもしれません。
この写真の水たまりは、きっと、そのうち乾いてしまう。
でも、そこに空があったことは残ります。
いつもの道に、こんな場所があった。
それをひとつ見つけられた日は、何もなかった日とは少し違う気がします。
この記事を書いたカウンセラー
横川カウンセラー
